失恋内服薬

大人のオンナが心の傷を癒していくには?

母と娘の葛藤

 今日はいい一日だった…と、思っていた。

 教会に花を活ける奉仕をして喜んでもらったし、礼拝後のティータイムでも輪が広がって教えを受けた。その後に訪れてきた教会間違えの市外の人を、お訪ねの方の教会に送っていって差し上げることもできた。持ち帰った仕事も終えられたばかりか、小顔マッサージにも行けた。なんて充実!

 週一で掛けている田舎の母への電話を、先週はしていないことを思い出し、これで「 いい人」のフィニッシュ!とばかりに掛けたら…

 ボロが出た。

 

  母娘の相性とか、確執とか、ライバル心とか依存心とか、色々あると思うけど。私が、尊敬しつつも敬愛しつつも、どうしても母から離れずにはいられなかったのは、彼女の感情が侵入的だから、だろう。

 愛情深いのは分かるんだけど、心配したり、プレッシャーを感じたりしている時に、周りの人間は…父も子どもたちも、彼女の思い通りにならないと安心できないし、安心できるまで小言や泣き言や注文を頑固に言い続けるところが、どうしても駄目だった。子どもは母親の感情の安定のために動くものではない!ということに、齢70にしてまだ気づけないでいる、幸せな老女。

 そう、幸せなのだ母は。優しい父に精神的に頼って( 旧家の嫁と仕事と、子育ての鼎立を果たしたから、苦労はしたと思うけど)これたのだから。

 今夜は、孫娘が反抗期だから心配だと、くどくど言うのだけど、反抗されて困っているのは、親である私なのに、当の私が心を痛めていることには何の配慮もなしに「 そんなんで大丈夫か大丈夫か、心配だ心配だ」と、安心させて欲しがる言葉を無意識に要求する無神経な甘えにいら立ってしまった。

 多分、私のクールな言葉に安心できず、今頃悶々と過ごしていることと思う。可哀想だけど、私は、そんなに、べたべたと情緒的に人とくっつけないようになってしまっている。

 人は、人。いくら親子でも、別人格なのだから、その人の中での感情は、その人の力において、引き受けなければならないのではないか?今は、カウンセリングも安定剤も気軽に手に入るようになっているし、それよりも上質な何かを求めるなら、やっぱり、教会でαコースを受けるのがいい。ハレルヤ!

 くどくどと長くなってしまった。

 栞子さんと智恵子母は似ているからお互い推理しやすいかもしれないと思う。深いところを想像し、思いやることも裏をかくこともた易いのでは?

 私は母とはタイプが違うから、経験的に叩き込まれるようにして理解させられた私と、感情的に君臨してきた母とは、なかなかそうはいかず、いまだに軋轢が生じる。

 娘も、また、別のところで、私という母親にうんざりさせられているのだろう、か。ふふふ。