キリエ・エレイソン
新年の礼拝で聞いた言葉が耳によみがえる。
キリエ・エレイソン…主よ、憐れみ給え。
感謝と祈りの作法を牧師様に習ったように感じていたが、憐れんで慰めて頂くのもありなのかな?とも思う。
今朝の夢は、リアルに私の無意識のメッセージを伝えてくれるもので…それは、
頭のおかしな女が出てきて、訳の分からないことを言うことで、私の生活の中に侵入し、私を振り回す…それを一生懸命誰か、権威のある人に訴えている…という夢だった。それぞれが、誰なのかはなぁ~んとなくわかるような気がする。
今の私が彼のことを「 頭のおかしな女」くらいにしか思っていないということも。
それでも彼は私に与えられた試練の一つ。その試練に会っていなかったら、また、今の自分とは違った在り様だったと思えるようになった。
憐れみを望むよりは、感謝を抱く方がいい。それが、今の日本キリスト教団やアッセンブリー派の考え方かなぁ…?
流れゆく河のように
自分の感じ方とか、受け取り方とか、重心の位置とか、優先順位とか、そういうものが変わっていくのを感じる。不思議なことに、自然に変わって来ている。以前、興味があったことが、今は他人事のように感じたり、またその反対のことがあったり…。
御手によって作り変えられているように感じる。
理不尽ともいえる出会いと別れも、与えられた試練なのかとも思え、感謝の念が湧いてくる。
日曜日に仕事が入ったりして、なかなか礼拝に行けないので、水曜夜の祈祷会に参加することにした。ほんの数人で、牧師様の一人語りとも説教ともいえるお話を聞いたり、一緒に祈ったりするのが新鮮で心地いい。祈り方にも作法があるのだと思った。身近で学べるのがおもしろいし、日常の世界で手ごたえのようなことが起こるのが素敵だ。祈る時に前頭葉の辺りに気持ちが集まってくることが、心地よく、スッキリするのがたまらない。もし、寝たきりになっても、祈ることができれば、もうそれだけで幸せなんじゃないかとも思う。
正月の里帰り
正月に帰省して、中学の同級生と呑んだり、子どもの頃に日曜学校に行っていた近所の教会の新年礼拝に行ったりした。
そもそも新幹線が郷里の山々に入っていく風景を見るだけでも勇気が湧いてくるのを感じる。何のてらいもない頃の同級生に会うのも心地よい。子どもの頃のピアノの先生がたまたま牧師様だったというだけで、礼拝で奏楽の奉仕をさせていただいていた誉を今になって感じ、そのおかげで数年に一度、郷里の教会に行っても温かく迎え入れてもらえる。
肩肘はらない温かい繋がりが、都会で戦う私を癒してくれる。有難いことだと思う。なんていうか…涙を拭っていただいていると思う。
(こちらの教会にお土産を買ってきたけど、「 雷鳥の里」でよかったかなぁ?美味しくなくて、余ったらどうしよう。つまらないことが気になる、中年の私。)
新年のお散歩
昨日は元旦礼拝に行った。宗派の違いはよく解らないながらも、家から近い教会で、人の輪を創っていこうと思った。もちろんイエス様との繋がりも強くしたい。
今日は、鎌倉のお散歩。
「 お母さんも初詣行けば?」と言われ、「 私はクリスチャンだから、他の神さま拝んじゃいけないの。」と答えると、「 え?なんで。仏教は、神道の神社行ってもいいじゃない?」と、教会にも連れて行ったことがあるのに、そんな意外な返事が返ってきた。
「 キリスト教とか、イスラム教みたいな、一神教では、唯一絶対の神様以外のものを拝んじゃいけないの。八百万の神と、エホバの神は同列じゃないのよ。仏教はそういうこと言わないけどね。いろんな仏様がいるから。」という会話をしたのは、今朝のこと。そんな会話があったせいかどうか…。
お祭りのような雰囲気を感じてワクワクしたくなったのと、少しは動かなければ!との思いから散歩に行ってきた。
気になるお店を冷やかして、二つの教会の十字架を拝んで帰ってきた。
黙示録の「 門」の話が新年礼拝で引用されていたので、み言葉を入れてみた。
あえて文語体で。ちょっと言葉に力があって、み言葉って感じがする。痺れる。
年の瀬のおしゃべり
年賀状も投函し終って、夕食も明日の料理の仕込みもちゃっちゃっと簡単にすんで、ぼんやりと何をするでもなく紅白を見ている。時折、息子が部屋から出てきて雑談をしていく。それは歌手の文句だったり、好きな音楽の話だったり、小さい頃の思い出話だったり、取り留めない話しだが、高校生にもなると会話のキャッチボールがおもしろい。
今日は、年末の買い物客があふれる街で、ばったり前のお向かいさんに出会った。見覚えのある少年の顔がふっと目に入ったと思ったら、それは息子と保育園の頃から一緒だったシュウ君だったのだ。
私たち母子3人は、正気が歪んで強迫性パーソナリティもどきでDVっぽくなっていった夫から逃れて、その界隈では最も広い敷地の二世帯住宅から、黙って勝手に引っ越してしまったのだ。かれこれ4年前のこと。
そんな辺りの雑談とか、子どもの高校のこととか、ひとしきり喋って「 知ってるでしょ、私もバツイチだし。今が良ければそれでいいのよ」と。保育園ママとして知り合った頃は、子どもを3人抱えるシングルマザーだったが、ドクターと結婚してお向かいの豪邸に越してきた彼女は言った。
そうそう。その通り。
帰宅途中で、行きつけの洋服屋さんのロゴ入りの車が、踏切待ちで止まっていた。運転していたのは、ママさんだったので、思いっきり手を振って挨拶をすると、窓が開いて「 風邪はどう?大丈夫?」と、土曜日にマスクして行ったことを覚えていてくれた。
夕方、調子に乗って、子育ての戦友ともいえる旧友に電話をして、一時間以上も喋ってしまった。
咳とだるさだけが続く、しょうもない風邪を言い訳に、だらだらしているだけの何事もない年の瀬だけど、身近に気の置けない人がちゃんといて、心穏やかに過ごせることは良いことだなぁ、と顧みて思う。ほぼ幸せってことかな。
写真:こんな気分の大晦日。